新橋演舞場秀山祭昼寺子屋河内山染五郎の不在という意味 agouti related peptide Transmillennium
8月27日、染五郎が、国立劇場でせり穴から奈落に墜落して、大けがを負った。
染五郎は、9月、10月の新橋演舞場と11月の国立劇場の休演を決めた。
その影響で、09月新橋演舞場秀山祭の配役が替わった。

昼の部では、染五郎が演じる予定だった寺子屋の松王丸は、吉右衛門が演じた- http://www.disused-car.com/obtain-funds-for-owning-ideal-vehicle-from-car-loans-regarding-unemployed-deals/
吉右衛門が演じる予定だった武部源蔵は、梅玉が演じた。
贅言松竹が用意した9月のチラシは、染五郎休演による配役の変更などは、済まされていて、染五郎休演などの文字は無く、当初から、染五郎を抜いて配役したようなチラシになっていた。

場内の休演代役のお知らせも無く、唯一あるのは、差し替えようが無かった筋書に配役訂正のお詫びが挟まれていて、その一片にのみ、染五郎休演を留めていただけだ。
歌舞伎は、観客の馴染みの役者が出演し、良く知っている内容の芝居をしても、配役の妙や役者の工夫や趣向を発見しながら楽しめるという伝統芸能ならではのおもしろみのある演劇である。
染五郎が元気で出ていればおもしろいし、病気や怪我で休演をしてしまっても、替わりの役者の工夫や趣向で、また、別のおもしろさを発見するかもしれない。
経験の豊富な役者たちが、いつでも代役可能な状態で一座を組んでいるから、役を廻せば、芝居は成立する。
9月の新橋演舞場の秀山祭もそうであった。
しかし、やはり最初の配役構想通りであれば、9月に観た舞台より、染五郎の味も加わっていた訳だから、幅と奥行きは、私が観たものとは違っていただろう。
夜の部の配役も替わったが、それは夜の部の批評で述べたい。
寺子屋を観るのは、17回目。
9月に秀山祭を催すようになって、初代が得意とした演目であることから寺子屋が上演されることが多いのに気がつく。

今回は、染五郎休演の波紋というテーマで劇評をまとめたい。
今回の寺子屋は、寺入り入塾から演じられる。
寺入りを観るのは、3回目。
寺入りを観たのは、17年前、1995年3月、10年前、2002年2月の、いずれも歌舞伎座であった。

2回とも、加茂堤から寺子屋までの通しであった。
寺入りのない寺子屋は、最近では、去年、2011年9月の新橋演舞場であった。
歌昇が武部源蔵を演じて、三代目又五郎を襲名する舞台であった。
松王丸は、吉右衛門が勤めている。
千代福助と小太郎が、従者の下男錦吾に荷物を持たせて寺入りしてくる。
涎くりの仕置きの場面、源蔵女房戸浪芝雀との入塾手続きの場面だ。
千代が隣村まで、外出してしまう外出の意図は、当初は伏せられている。
下男の錦吾は、乱れた草履を直し、荷物を片付けた後、天秤魔ィに掛けて座り込み、恰安宅も勧進帳の舞台で座り込んだ義経のような格好をして、玄関先で眠り惚ける。
下男の顔にいたずらをする涎くり種之助。
下男を起こし、千代と小太郎の入塾手続きの真似をする涎くりと下男のパロディ。
その後の悲劇との対比のための笑劇チャリ場。
通常、寺入りがない演出の場合は、涎くりが、習字をさぼってへのへのもへじを書いたりしている。

こちらの演出の方が多い。
その場合、15分程度短縮される。
さて、今回、吉右衛門は、武部源蔵に廻り、染五郎に松王丸をやらせる構想だった。
初代の吉右衛門の源蔵が松王丸に対等でぶつかる。
当代の吉右衛門も、それをやってみたかったらしい。
染五郎の松王丸がそれをどう跳ね飛ばすか、それが楽しみだと楽屋話で話していた。
ところが、染五郎の怪我休演で、自分が、いつも通り松王丸を演じることになってしまった。
吉右衛門の松王丸は、4回目の拝見となる。
相手役の源蔵は、富十郎が2回、又五郎を襲名したばかりの歌昇、そして今回の梅玉である。

吉右衛門の松王丸と対等と言えるのは、亡くなってしまった富十郎くらいか。
一方、吉右衛門の源蔵は、最近では、2006年9月の秀山祭に幸四郎の松王丸を相手に演じている。
今回は、幸四郎に次いで、息子の染五郎の松王丸を相手にしたかったのであろう。
以前に一度寺子屋の松王丸を勤めたことがある染五郎は、松王丸は憧れのお役です。
、相対するのが叔父吉右衛門の源蔵ですから大変緊張しております。
叔父に直接教えを受けるこの上ない機会ですので、その一瞬一瞬を吸収し、懸命に勤めたいと言っていた。
源蔵と松王丸。
どっちが難しいか。
縁もゆかりも無い他人の子どもを大人の都合のために殺さなければならない源蔵の方が、確信犯的に我が子を犠牲にする松王丸の方が、屈折度が違うか。
その辺りに、源蔵役者のやりがいがあるかもしれないし、初代吉右衛門は、そこに気がつき、役づくりの工夫を重ねていたかもしれない。
それは、今後に期待するとして、幸四郎対吉右衛門の舞台、06年9月の舞台の劇評を以下、適宜再録しておこう。
吉右衛門は、松王丸対源蔵を先に触れたようなイメージで、この舞台でも演じていただろうと思われるからだ。

まず、源蔵吉右衛門の花道の出である。
名作歌舞伎全集菅原伝授手習鑑の寺子屋の、いわゆる源蔵戻りでは、以下のように、書いてあるだけである。
竹本立ち帰る主の源蔵、常に変わりて色青ざめ、内入り悪く子供を見廻し、ト向うより源蔵、羽織着流しにて出で来り、すぐ内へ入るところが、吉右衛門は、花道七三で、はっと、息を吐いた。
先程まで、村の饗応もてなしと言われて出向いた庄屋で、藤原時平の家来春藤玄蕃から自宅に匿っているはずの菅秀才の首を差し出せと言われ、思案しながら歩いて来たので、もう、自宅に着いてしまったかという、諦めの吐息であっただろうか。
初代の工夫か。
このように、吉右衛門は、初代の科白廻しや所作を継承しているように見え、科白も、思い入れたっぷりに、じっくり、叮嚀に、それでいて、力まずに、抑え気味に、秘めるべきは秘めて、吐き出しているように感じられた。
オーバーにならない程度に抑えながら、リアルに科白を廻す。
一方、兄の幸四郎は、オーバーアクション気味で、気持ちを発散しながら、科白を言っているという感じだが、寺子屋の松王丸の場合は、これが、適切で、浮き上がって来ないから、おもしろい。

幸四郎と吉右衛門の科白廻しの違いや藝の質の違いがよく判る舞台だ。
肚の藝も含めて、源蔵の吉右衛門と松王丸の幸四郎が、静かに火花を散らしたので、大いに盛り上がったように思う。
次に、いわゆる首実検では、以下のように、書いてあるだけである。
松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあってところが、幸四郎の松王丸は、目を瞑ったまま、首桶の蓋を持ち上げる。
やがて、目をあけるが、正面を向いたままで、すぐには、首を見ようとはしない。
覚悟を決めたようで、徐々に目を下げる。
そして、我が子小太郎の首がそこにあるのを確認する。
松王丸は、むう、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。
出かした源蔵、よく討った。
竹本言うにびっくり源蔵夫婦、あたりをきょろきょろ見合わせり思いもかけず、寺入りしたばかりの小太郎の首が、菅秀才の首として、通用してしまい、驚きと安堵の気持ちで、腰を抜かす源蔵夫婦。
だが、騙したはずが、騙されて、というどんでん返しが展開する。
松王丸の方が、役者が一枚上というイメージの場面ゆえ、松王丸は、3兄弟の長男のイメージに繋がるという次第。
これは、これで幸四郎吉右衛門の珍しい兄弟対決の名舞台で、それぞれの緩急は、今も印象に残る。

今回同様に、吉右衛門が松王丸を演じた舞台は、最近では、去年、2011年9月秀山祭の新橋演舞場であった。
歌昇が武部源蔵を演じて、三代目又五郎を襲名する舞台であった。
既に触れたように、寺入りのない寺子屋であった。
吉右衛門は、いつも通りの風格のある松王丸だったが、又五郎襲名の歌昇が、初役で武部源蔵を演じた。
初日の舞台を観たが、襲名披露保初日の初役だけに、新又五郎は緊張しているようで、力が入りすぎていて、いくら、時代物で、くっきりとした実線の演技が良いと言っても、かなり、オーバーアクションを感じた。
もう少し、さらり、ゆるりとやって欲しかった。
さて、今回は、代役で源蔵を梅玉は勤めた。
梅玉の源蔵を私は、2回観ている。
私は、今回で3回目になる。

梅玉は、吉右衛門のように、初代吉右衛門を意識した演義はしない。
今回もそうであった。
染五郎休演で、寺子屋に梅玉を引き出したから、出演した役者の数は、予定と変わりないが、もし、松王丸染五郎対源蔵吉右衛門が、先の、幸四郎対吉右衛門の舞台に準ずるおもしろさがあったとしたら、私たち観客は、おもしろい舞台を先送りしてしまったというしか無いかもしれない。

幅、奥行きが、今回の舞台とは、違っていただろうと推測する。
まあ、それは今後のお楽しみとして取って置きたい。
河内山を観るのは、今回で12回目。
最近では、今年、2012年2月の新橋演舞場であった。
勘太郎が松江出猿轤奄カて、六代目勘九郎を襲名した。
このうち、河内山と直侍を合わせた通しで2回観ている。
これは幸四郎主演。
私が観た河内山宗俊は、吉右衛門今回含め、5、幸四郎4、仁左衛門2、團十郎。
吉右衛門の河内山は、すっかり安定している。
初代は、深い人間洞察を踏まえた科白の巧さが持ち味だったらしい実際の舞台を観ることが出来なかったのは、世代的な不幸である。
菊吉ジジババへの呪詛かが、当代の吉右衛門は、人間洞察の深さは今も精進しているだろうが、科白の巧さは、当代役者の中では、ぴか一だろう。
悪事が露見すると、河内山の科白も、世話に砕ける。
時代と世話の科白の手本のような芝居だし、江戸っ子の魅力をたっぷり感じさせる芝居だ。

度胸と金銭欲が悪党の正義感を担保しているのが、判る。
そういう颯爽さが、この芝居の魅力だ。
河内山は、大向う好みの芝居だ。
無理難題を仕掛ける大名相手に、金欲しさとは言え、寛永寺門主の使僧使者の僧侶に化けて、度胸ひとつで、大名屋敷に町人の娘を救出に行く。
最後に、大名家の重臣北村大膳吉之助に見破られても、真相を知られたく無い、家のことを世間に広めたくないという大名家側の弱味につけ込んで、堂々と突破してしまう。
権力者、なにするものぞという痛快感がある。
悪党だが、正義漢でもある河内山の、質店上州屋での、日常的なたかりと、松江出猿逕玉の屋敷での、非日常的なゆすりでの、科白の妙ともいえる使い分け。
上州屋では、番頭の役回りが、出猿轤フ屋敷では、北村大膳の役回りとなるのことに気がつくと、黙阿弥の隠した仕掛けが判り、芝居味が、ぐっと濃くなる。
贅言天衣紛上野初花は、1881明治14年3月に東京の新富座で初演された。
当時の配役は、河内山九代目團十郎、直次郎五代目菊五郎、金子市之丞初代左團次。
團菊左は、明治の名優の代名詞菊吉よりも團菊。
左は、さらに上。
三千歳八代目岩井半四郎という豪華な顔ぶれ。